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2014-11月

モモの思い出写真

2014-11-30 (日)

モモ14.11.03 (2)06.10.07階段の3匹2モモ14.05.08 (2)モモ11.3.30モモ10.01.24雪モモ09.9.0203.05.20階段3匹 (2)

モモ

2014-11-30 (日)

モモ08.12.152014年11月21日夜中の0時45分永眠。
12歳と数か月を生きました。
20日の朝8時、ガサガサとおかしな音に気づき、洋服ダンスの上のモモを見ると、顔の前で両手をせわしなくバタバタと動かしていた。
少しすると痙攣を起こし始めたので、慌てて下して抱き抱えたが、呼吸をしていない感じで、爪を立てて苦しみ始めた。
毛玉が喉に詰まったのだろうと考え、上下に揺らしているうちに力が抜け、呼吸をし始めた。
その時は、食欲があまりないのは毛玉のせいだろうと考えた。
10時過ぎた頃、また、同じ発作が起きた。
苦しそうなので、抱き上げて揺する。
数分でなんとか普通の状態になったが、これは何かおかしいと思い、近くの動物病院へ連れて行く。
心電図、血液などの一通りの検査をしなければ判断しかねるということで預けた。
夕方、受け取りに行き、説明を聞くと、ひどい不整脈があり、心臓と腎臓に疾患があると言う。
発作が出た時には、傍に居てあげるだけでいいと言われ、取りあえず、薬で様子を見るということで、家に連れて帰った。
カゴから出てすぐにマグロの切り身を食べ、水も飲んだ。
その後、尿も出たので、この調子なら大丈夫と思い、寝付く前に今日の分の薬を飲ませた。
これで、今晩は様子を見ようと思い、モモは浅い眠りに付いたようだったが、落ち着かない様子なので、膝の上に乗せて部屋を暗くした。
こちらも少し眠くなってきたのでフトンを敷き、半身を起こし気味にセットして、胸の上でモモを抱え込む。
モモが一番好きな状態だ。
両手を広げて、ちょっと爪を立て、ベッタリと貼り付くのが好きなのだ。
発作は30分もしないうちに出てきた。
苦しがるので、ゆっくりと小さな声を掛けてやる。
数十秒で収まり、また、眠りにつく。
しかし、1時間ほどすると、また、発作だ。
そして、23時を過ぎた時に3度目の発作。
何か変だ。
ぐったりとしたまま動かなくなった。
息もしていない。
この時、どうした?と考えながら、右手で胸の圧迫を繰り返した。
スースーと鼻から息が出てくる。
抱き直してみる。
動かない。
首に力が入らずに頭が揺れる。
フトンから出て、椅子にもたれ、モモを胸に抱えた。
あっという間に逝ってしまった、と思いながら1時間ほど抱いていると、あれ?なんと手に力が入ってきた。
目が私を見て、「好き」の合図のまばたきをしてくる。
そして、手が急に力を込めてくる。
スポイドで水を口に含んでやると2回飲んだ。
驚きながら、「モモ生き返ったの」と言って頬ずりしていると、尿を漏らした。
オシッコなんかどこにしてもいいよ、と抱き直して「生き返った」と思ったその数十秒後、また、ぐったりとしてしまった。
一度止まった心筋が、何らかの力でまた動き出していたのだろうか。
その後はもう動かなかった。
もう生き返らなくてもいいと思った。
何度も何度も苦しい思いをしなくてもいいよ。
病院へ行って息を吹き返したとしても、また、それから毎日、発作で苦しむことになるのなら、このまま、楽になったほうがいい。
12年余り、一緒に過ごしたけれど、本当にありがとう。
モモは幸せだったかい。
向こうでキロンと仲良くするんだよ。
たまには、夢に出てきて、そして、大きな声で私をよんでおくれ。

モモの思い出
2002年9月、山の手高校のグランドで、雨の中叢で鳴いていたところを拾われてきました。
まだ、生まれてひと月かふた月立ったくらいの小さな子でした。
その頃は、西の里の事務所で、野良猫だった黒猫チビが子育て真っ最中。チビの3匹の子猫に混じって、運よくオッパイにありつくことができました。
チビや子猫たちも、始めは威嚇したものの、喧嘩になることはなく、そのうちに馴染んでいきました。
拾い主が付けた名前「モモ」をそのまま受け継ぎました。
不妊手術をした時に、初めてオスだということがわかりました。
外に出るのが好きでした。
オスは行動範囲が広いようで、少し離れた公園でモモを見かけた、という話もありました。
何度か後を付けたことがありますが、道路ではなく、家の間を通っていくので、なかなか難しいことでした。
追跡を諦めて家に帰って、その後1時間以上かかって帰ってくることも度々でした。
それでも、夕方から街へ出る用事がある時に、昼出かけたままで帰って来ていない時は、口笛を吹きながら100m四方をぐるりと回って来ると、不思議とギリギリの時間に帰って来ました。
車の音に敏感でした。散歩中でもくるまの音がすると、道から外れて車が行くのを確認してからまた歩き始めました。道路を横断するときも、車の音がすると絶対に渡りませんでした。
数年前から良く声を出すようになりました。明らかに、私に話しかけてきていました。
私の帰りが遅くなった時などは外で待っていて、車の音を聴き付けて寄ってきました。
ドアを開けると、「遅い」とでも言っているような強めの声を出しました。
数年前からは、外の階段から大きな鳴き声で、私を呼び出すことも良くありました。
アパートのお隣さんや2階のおばあちゃん達からは、「また、モモちゃんが呼んでいたね」と言われました。
キロンがいなくなってからでしょうか、大っぴらに私に甘えることが多くなりました。
朝、暗いうちに起き出してきて枕元で一声鳴いて私を起こし、ふとんの中にもぐりこみ右太ももにアゴを乗せてしばし温もり、充分暖まると股の間を通って足の先から布団を抜け出し、トイレの中では膝の上に乗り、昼は椅子に座っている私の胸に抱きつき、夜は布団の上に上がって来ました。
腕がしびれてしまう程長くいる事もありました。
チビたちと違って、マグロの刺身、缶詰とカリカリ、焼いた鮭やさんまが好きでした。浴槽に手を掛けて背伸びをして、お風呂の蛇口から水を飲むのはモモだけでした。
一番若かったのですが、余所の野良猫が家の近くに来た時には真っ先に相手に立ち向かい、大きな唸り声を上げて、相手を威嚇し、追いかけ回しました。
格闘になって、2度ほど、傷を負ったこともありました。
その傷が悪化して病院に行き、エリザベスカラーを付けられたのですが、それをとても嫌がり、脱走したことがありました。
氷点下の夜中探し回り、夜が明けてきてから100m以上離れた車の下で発見しました。
カラーが引っ掛かって動けなくなっていて、私が通った時に小さな声を出したので見つけられたのでした。
3年前くらいから、木登りが出来なくなり、体重も少しづつ落ちてきていました。最も大きい時で6kgあった体重が、2012年2月に5.7kg、2013年1月は5.5kg、9月は5.3kgそして、今年に入ってからは2月5.1kg、10月4.5kgになっていました。夏バテかと思っていましたが、顔の周りに白髪も増えてきて、散歩に出る時間も少なくなってきていたので、おじいちゃんになってきたのだと思っていました。
病院で測定すると4kgになっていました。
食も細くなっていたのは、病気のせいだったのですかね。
気づいてあげられずに

映画「蘇生」

2014-11-26 (水)

白鳥哲監督の映画は、順調に進んでいるようです。
地球蘇生プロジェクト通信によりますと、今年4月までに国内外の主な撮影を終了して6月までに粗編集し、7月からドキュメンタリー部分の撮影。
東京の外堀や、名古屋の堀川では、ボランティアの人たちによる浄化の成功の様子を目撃し、微生物たちの蘇生力のすごさを改めて体験したようです。
そして、回想部分では比嘉先生役を元「男闘呼組」のメンバーの前田耕陽さんが演じるそうです。
完成は来年になり、そして、春には劇場公開予定です。
札幌で上映する映画館が出てこなくても、来年の8月30日に道新ホールで催される、健康生活セミナーで上映されます。
比嘉先生も来道されますので、ぜひ、みな様も健康生活セミナーにご参加下さい。

家庭菜園2014

2014-11-13 (木)

通常60日間の育苗を30日で行おうとした、タマネギの苗作りの失敗から始まった今年の菜園も、10月31日ギリギリで作業終了。
26日の日曜日に収穫のすべてを終えるつもりが、腰痛のため終えられず、何とか最終日で片付られました。
今年勉強させてもらったこと。
毎年出てくる赤紫蘇を大量に伸ばし過ぎ、囲まれてしまったとうきび達は実が小さく、収穫数も激減。
5月始めに根が1本だけという未熟な苗を定植し、その後、雨が降らずのタマネギは小粒のものばかりで10kg弱。家庭レストランをしている知人には喜ばれました。
青虫は見つけるのも容易だが、ヨトウムシは潜り込んでいて、中心部までボロボロで穴だらけになったキャベツは、その後何とか持ち直して収穫できたが、2度獲りはならず。
人参は7,8cm間隔の間引きをすれば太目のものが収穫できるのだが、畑の面積が小さいので1袋を1坪ほどに播種。中央部は出来が悪かったので、来年は2坪に。
長葱は定植時の深さ20cmほどの落とし込み式と、タマネギの収穫後の土寄せで、それなりに収穫あり。
ジャガイモは丸ごと大きな種イモを使うと、その株は他と比較すると2倍以上の収穫あり。(写真)
太い茎が出て、大き目のものが収穫。
また、高畝式は今年のような雨無し、雨降りの周期が長いと水分不足になり、小粒になるのか?

ヤーコンは背丈は低いが、昨年同様に1株5~8kgでまあまあ。
1月置くと美味に。
落花生は日照不足?1株に30~40個。来年、この豆でもう少し収穫期待。
サトイモは水と高温が必要とのことで失敗。
阿部さんに頂いた7月中旬定植の白菜は、肥料のせいか大小様々。

映画ダムネーション

2014-11-08 (土)

7日、札幌北口のパタゴニア北で、自主上映会があり参加した。
大小合わせて3万基以上もあるという米国のダムの弊害に気付いた人たちが、根気良く、そして、楽しみながら反対運動を10年、20年と継続し、遂には撤廃にまで持ち込んだドキュメント映画であった。
第2次大戦前から景気対策として実行されてきた大規模ダムの建設が、いかに自然を破壊し、先住民の人たちの暮らしを変えていったのかが実感された。
数十年もの長期間を活動可能にした原動力は、自然を愛する心であり、それを支える人間の繋がりである。先住民、白人の区別なく自然を敬い楽しむ感性が呼応し一体となり、そして、先住民の人たちの心の中に生き続ける先祖に対する敬愛と自然への畏敬の念を共感しあえれば、川を蘇生させることの重要性を理解できるのである。
道内では、サンル川や平取で新規工事が計画、着工されているが、環境保護の観点から反対を唱える人たちの声を、行政側は真摯に受け止めるべきではないのかと考えさせられた。

環境と昆虫

2014-11-06 (木)

11月1日、帯広畜産大学の教授の話を聴いた。
参加者の23人の殆どは年輩の方々。
昆虫との関わり無しに育った世代には、興味が湧かない話題なのかなと漠然と感じていたが、話は興味深いものであった。
昆虫は生命体としての種類、数もさることながら、微生物にも負けないほど、劣悪な環境下でも生息している。
北極のシロクマや人間の体内、原油の中にまで幼虫の形で生きているとのこと。
その環境適応能力の高さは、地球の環境がどう変化しようとも未来へつなぐための遺伝子操作を自在に行えるということなのだが、人類という種による害悪には成す術もないようである。
一時期騒がれたミツバチの減少は様々な推論がなされたが、ネオニコチノイド系の農薬が大きな要因であるという。
実は、2001年にイタリア国立養蜂研究所は、ネオニコチノイド系農薬によるミツバチへの影響を試験で確認していた。
100ppbから500ppb(1ppbは1億分の1)の間に、ミツバチを絶滅に追い込む閾値があるという結論であった。
他の具体例では、牛の塗布駆虫剤(虫下しのようなもの)は、寄生中の駆除に使用されるが、糞分解性昆虫(糞ころがしの種)に大きな害をもたらす。
家畜の糞を丸めてその中に卵を産み、その糞の栄養で幼虫が成長していく過程で、薬剤の被害を受けて死に至るのである。
また、オーストラリアでは、白人の移住に伴い、牛を移入したが、元来、大型の肉食獣がいなかった国土には、牛の糞を短時間で分解する糞分解性昆虫が生存しなかった。
そのため、糞が大量に長期間、地表面に放置されたため、悪臭問題が発生。対策として国外からの糞分解性昆虫の移入をせざるをえなかったとのこと。
身近なところでは、道東の丹頂鶴。
近年、ジャガイモを食べる鶴も出てきているのだが、死亡した鶴から有機リン系の農薬によるものと思われる事例があるという。
すべてのジャガイモが濃厚な農薬に汚染されているわけではないであろうが、散布の濃淡は当然ある。
有機リン系農薬は、神経障害を起こし、化学物質過敏症の原因となることもあるので、本州では、かなり減少しているというが、まだ、全面禁止とはなっていない。
人類を生かすための食糧生産が、環境を破壊し、他の種の生命を死に至らしめ、人間にとっても身体を蝕むことになっている。
そして、最後に、福島の放射能汚染による昆虫への残留は明確に表れており、形態異常も出てきていて、食物連鎖からいくと鳥類、獣類に汚染は確実に移行していくとのことであった。
人類の経済行為による環境破壊は、多くの種の絶滅を招いているが、その対策はなされておらず、環境を無視していては人類の未来も危ういということなのである。 

原発再稼働

2014-11-06 (木)

鹿児島県川内市の原発再稼働に向けて、県知事と宮沢経産大臣が会談、その時に大臣は「万が一事故が起こっても、国が関係法令に基づき、国が責任を持って対処する」と説明していた。
福島原発の現状を見れば、この発言の愚かしさは明らかである。
福島原発の汚染に対して、国の対策がどれほどの効果を上げていると考えているのか、被災者たちにお金をばらまけば責任を持って対処したことになるのか、会見の場で発言をただただパソコンに打ち込んでいる記者たちは、まともな質問を投げ掛けられないのであろうか。
放射性廃棄物の問題もあるが、それ以上に、万が一の事故で、どうにもならない被害が出る原発技術は、早々に廃棄しなければならない。
テレビ番組で阿川佐和子氏が聞いた話として、怒鳴ると泣き出す若い記者もいて、新聞社内で大きな声が無くなった旨を言っていた。
親にも先生からも怒られず育ってきた、いわゆる良い子の学力優秀な若者が記者になっているのであろうか。
そういえば、先日、20年間在籍したゼネコンの現役職員からも同じような話を聞いた。
H大の新人は現場のハードさに耐えかねて、すぐに退職したと言う。
また、それとは逆に、やる気満々の女性が試験を受けてくるとのことで、世の中大きく変わっているようだ。
これからは、女性記者に頑張っていただき、福島の事故に対して、誰一人責任を取っていない政治家のいい加減さを徹底的に追及して欲しいものである。

EMとはEffective Microorganismsの略語で、有用な微生物群という意味の造語です。 EMは自然界から採種し、抽出培養した複数の微生物資材で、琉球大学農学部の比嘉照夫名誉教授が開発しました。

〒061-1147
北広島市
里見町2丁目6番6
TEL:011-398-5817
FAX:011-398-5827

代表細川義治のプロフィール
2011年NPO法人
北海道EM普及協会 理事長
活動内容
・生ゴミ堆肥化の技術指導(札幌市の派遣講師事業)
・家庭菜園でのEM利用技術の普及
・授産者施設でのぼかし作りの指導
・小中学校の環境改善のためのEM利用の普及
・有機農産物の普及
趣味
・映画鑑賞
・1匹の愛猫との散歩