映画「先祖になる」
2016-04-07 (木)
4月2日、新さっぽろ駅そばの映画館で、池谷薫監督作品集の上映会があった。
かなり古く、椅子がきしみの音を出すような久しぶりの映画館で、年配の方が多く、少しだけ若い人たちがいる中、軍命令で中国に取り残された一人の日本兵を描いた「蟻の兵隊」、津波被害で壊滅状態になった岩手県陸前高田市の山間の集落で昔ながらの町の復興を信じて生活する老人を描いた「先祖になる」と映画館の再生を願う「ASAHIZA人間はどこへ行く」の3本が上映された。
「蟻の兵隊」では、兵隊としての残虐行為を恥じながらも、中国人を前にして、日本軍としての上官感情があらわになる場面があるなど、心の奥には未だに戦争状態の意識が残されていることに、今更ながら、人間の心の複雑さを考えさせられた。
米国では、帰還兵の自殺者が増えているという。
これからの、自衛隊海外派遣がもたらす、自衛隊員の心の荒廃が懸念される。
そして、「先祖になる」では、復興の意味についての難しさを感じた。
半農半林で生きてきた80年を消し去ってなるものか、という気概で、新たに家を建てて生き抜く姿勢は、すべての周りの自然に深い愛情があってこそ。
自然に対して尊敬の念を忘れず、惠みに感謝して生きてきた人生に、一点の曇りもない。
だからこそ、その人生を否定せずに生き続けられるのだ。
「年々歳々、花相い似たり 歳々年々、人同じからず」
すべてのことはいつか変化することが必然と考えていたが、志は、肉体が滅びたとしても残り続けるとすれば、安易に終末を想定することは、つまらぬことなのかもしれない。
上記2本の考えさせられる映画で、3本目を観るのは断念。
すでに、受け入れ許容量は残っていませんでした。