Home > カテゴリー > 猫

モモの思い出写真

2014-11-30 (日)

モモ14.11.03 (2)06.10.07階段の3匹2モモ14.05.08 (2)モモ11.3.30モモ10.01.24雪モモ09.9.0203.05.20階段3匹 (2)

モモ

2014-11-30 (日)

モモ08.12.152014年11月21日夜中の0時45分永眠。
12歳と数か月を生きました。
20日の朝8時、ガサガサとおかしな音に気づき、洋服ダンスの上のモモを見ると、顔の前で両手をせわしなくバタバタと動かしていた。
少しすると痙攣を起こし始めたので、慌てて下して抱き抱えたが、呼吸をしていない感じで、爪を立てて苦しみ始めた。
毛玉が喉に詰まったのだろうと考え、上下に揺らしているうちに力が抜け、呼吸をし始めた。
その時は、食欲があまりないのは毛玉のせいだろうと考えた。
10時過ぎた頃、また、同じ発作が起きた。
苦しそうなので、抱き上げて揺する。
数分でなんとか普通の状態になったが、これは何かおかしいと思い、近くの動物病院へ連れて行く。
心電図、血液などの一通りの検査をしなければ判断しかねるということで預けた。
夕方、受け取りに行き、説明を聞くと、ひどい不整脈があり、心臓と腎臓に疾患があると言う。
発作が出た時には、傍に居てあげるだけでいいと言われ、取りあえず、薬で様子を見るということで、家に連れて帰った。
カゴから出てすぐにマグロの切り身を食べ、水も飲んだ。
その後、尿も出たので、この調子なら大丈夫と思い、寝付く前に今日の分の薬を飲ませた。
これで、今晩は様子を見ようと思い、モモは浅い眠りに付いたようだったが、落ち着かない様子なので、膝の上に乗せて部屋を暗くした。
こちらも少し眠くなってきたのでフトンを敷き、半身を起こし気味にセットして、胸の上でモモを抱え込む。
モモが一番好きな状態だ。
両手を広げて、ちょっと爪を立て、ベッタリと貼り付くのが好きなのだ。
発作は30分もしないうちに出てきた。
苦しがるので、ゆっくりと小さな声を掛けてやる。
数十秒で収まり、また、眠りにつく。
しかし、1時間ほどすると、また、発作だ。
そして、23時を過ぎた時に3度目の発作。
何か変だ。
ぐったりとしたまま動かなくなった。
息もしていない。
この時、どうした?と考えながら、右手で胸の圧迫を繰り返した。
スースーと鼻から息が出てくる。
抱き直してみる。
動かない。
首に力が入らずに頭が揺れる。
フトンから出て、椅子にもたれ、モモを胸に抱えた。
あっという間に逝ってしまった、と思いながら1時間ほど抱いていると、あれ?なんと手に力が入ってきた。
目が私を見て、「好き」の合図のまばたきをしてくる。
そして、手が急に力を込めてくる。
スポイドで水を口に含んでやると2回飲んだ。
驚きながら、「モモ生き返ったの」と言って頬ずりしていると、尿を漏らした。
オシッコなんかどこにしてもいいよ、と抱き直して「生き返った」と思ったその数十秒後、また、ぐったりとしてしまった。
一度止まった心筋が、何らかの力でまた動き出していたのだろうか。
その後はもう動かなかった。
もう生き返らなくてもいいと思った。
何度も何度も苦しい思いをしなくてもいいよ。
病院へ行って息を吹き返したとしても、また、それから毎日、発作で苦しむことになるのなら、このまま、楽になったほうがいい。
12年余り、一緒に過ごしたけれど、本当にありがとう。
モモは幸せだったかい。
向こうでキロンと仲良くするんだよ。
たまには、夢に出てきて、そして、大きな声で私をよんでおくれ。

モモの思い出
2002年9月、山の手高校のグランドで、雨の中叢で鳴いていたところを拾われてきました。
まだ、生まれてひと月かふた月立ったくらいの小さな子でした。
その頃は、西の里の事務所で、野良猫だった黒猫チビが子育て真っ最中。チビの3匹の子猫に混じって、運よくオッパイにありつくことができました。
チビや子猫たちも、始めは威嚇したものの、喧嘩になることはなく、そのうちに馴染んでいきました。
拾い主が付けた名前「モモ」をそのまま受け継ぎました。
不妊手術をした時に、初めてオスだということがわかりました。
外に出るのが好きでした。
オスは行動範囲が広いようで、少し離れた公園でモモを見かけた、という話もありました。
何度か後を付けたことがありますが、道路ではなく、家の間を通っていくので、なかなか難しいことでした。
追跡を諦めて家に帰って、その後1時間以上かかって帰ってくることも度々でした。
それでも、夕方から街へ出る用事がある時に、昼出かけたままで帰って来ていない時は、口笛を吹きながら100m四方をぐるりと回って来ると、不思議とギリギリの時間に帰って来ました。
車の音に敏感でした。散歩中でもくるまの音がすると、道から外れて車が行くのを確認してからまた歩き始めました。道路を横断するときも、車の音がすると絶対に渡りませんでした。
数年前から良く声を出すようになりました。明らかに、私に話しかけてきていました。
私の帰りが遅くなった時などは外で待っていて、車の音を聴き付けて寄ってきました。
ドアを開けると、「遅い」とでも言っているような強めの声を出しました。
数年前からは、外の階段から大きな鳴き声で、私を呼び出すことも良くありました。
アパートのお隣さんや2階のおばあちゃん達からは、「また、モモちゃんが呼んでいたね」と言われました。
キロンがいなくなってからでしょうか、大っぴらに私に甘えることが多くなりました。
朝、暗いうちに起き出してきて枕元で一声鳴いて私を起こし、ふとんの中にもぐりこみ右太ももにアゴを乗せてしばし温もり、充分暖まると股の間を通って足の先から布団を抜け出し、トイレの中では膝の上に乗り、昼は椅子に座っている私の胸に抱きつき、夜は布団の上に上がって来ました。
腕がしびれてしまう程長くいる事もありました。
チビたちと違って、マグロの刺身、缶詰とカリカリ、焼いた鮭やさんまが好きでした。浴槽に手を掛けて背伸びをして、お風呂の蛇口から水を飲むのはモモだけでした。
一番若かったのですが、余所の野良猫が家の近くに来た時には真っ先に相手に立ち向かい、大きな唸り声を上げて、相手を威嚇し、追いかけ回しました。
格闘になって、2度ほど、傷を負ったこともありました。
その傷が悪化して病院に行き、エリザベスカラーを付けられたのですが、それをとても嫌がり、脱走したことがありました。
氷点下の夜中探し回り、夜が明けてきてから100m以上離れた車の下で発見しました。
カラーが引っ掛かって動けなくなっていて、私が通った時に小さな声を出したので見つけられたのでした。
3年前くらいから、木登りが出来なくなり、体重も少しづつ落ちてきていました。最も大きい時で6kgあった体重が、2012年2月に5.7kg、2013年1月は5.5kg、9月は5.3kgそして、今年に入ってからは2月5.1kg、10月4.5kgになっていました。夏バテかと思っていましたが、顔の周りに白髪も増えてきて、散歩に出る時間も少なくなってきていたので、おじいちゃんになってきたのだと思っていました。
病院で測定すると4kgになっていました。
食も細くなっていたのは、病気のせいだったのですかね。
気づいてあげられずに

チビの24時間

2013-02-02 (土)

 1月18日、12時前に若い農家の方の訪問があり、猫たちは一旦表に逃げるも戻ってきて、エサを欲しがった。
その時は、話続けてエサの要求を無視していると、無理だと諦めたのか、チビだけが再度外に出て行った。
小一時間ほどして、お客さんを見送った後、口笛を吹いて呼んでみるも、近くに居るはずのチビの姿が見えない。
この寒空の中、いつもは10分ほどで帰宅するのに、と思いながら3時過ぎに近所を一回りしてみたが気配が無い。
道幅が狭くなっているので、車に追いかけられて訳もわからず真っ直ぐに逃げて、迷子になっているのではと心配になる。
夕方、探していると、市民農園でよく顔を会わせる方から、昼過ぎに1km以上離れた中学校の近くで黒猫を見たとの情報を得て、車で行ってみたが見つからない。
それからは一時間ごとに口笛を吹きながら探す範囲を広げていった。
気温はどんどん下がってきて、夜中の0時にはマイナス11℃にまで下がった。
足の裏や甲にも痛みが出てきて、運動不足を実感する。
4枚の重ね着でも身体の芯まで冷えてしまって、部屋でストーブに当たってもなかなか暖まらない。
近くの神社も探してみるついでに、お賽銭も入れずにこんな時だけお願いをしてしまう自分が情けない。
雪の中、キロンが迷子になって遠くの家の玄関前で鳴いていたことや、モモが車の下で身動きできなくなっていた時を思い出すと、寝てしまうわけにはいかない。
静まり返った住宅街を口笛を吹きながら探し回ったが、とうとう朝になっても見つけられない。
玄関を少し開けたままだったので、トイレの水が凍っていて流れない。
熱湯を沸かして流し込む。
どたばたしながらも、夜が明けて、朝の太陽と気温の上昇は、気持ちを和らげてくれ、ひょっこりと帰って来るような気にさせてくれた。
中学校の近くにも何度か行った。
2度目の時に、黒猫がこちらに走ってくるので、チビ、と声をかけたが、すぐに逃げてしまった。
少し若い猫だった。
朝方には車庫の前で朝日を浴びている黒猫を見かけて、近づくとゆっくりと逃げて行った。
少し太り気味の別の黒猫であった。
ひょっとすると、10年前にうちの近くを縄張りにしていたチビの親兄弟が、こちらまで歩いて来て、生き続けているのかもしれないと感じた。

そして、24時間経った12時前、探し回って帰宅すると、なんとチビは部屋に帰って来ていた。
そして、モモのエサの残りを平らげて、何事も無かったようにすり寄ってきた。
しかし、あれから10日、チビは滅多に外に出なくなった。やはりどこかで寒い一晩を過ごして、大変な思いをしたのであろう。

チビとモモ

2013-01-21 (月)

黒猫チビ11才、白黒猫モモ10才、今冬は外に出る回数、時間ともに減少気味。
年を取ったせいなのか、玄関まで歩いていくのだが、ドアを開けても外に出ていくことが少なくなった。
野良の時に一度外で冬越し経験のあるチビは10分ほど戻らない時があるが、モモは数分で戻ってくる。
数年前であれば雪の中でも一緒に10分以上は散歩したものだが、寒さに弱くなってきているのかもしれない。
先週、体重を計ってみると、チビは4.1kgでさほど変わらないが、モモは5.5kgと大きくなっていた。
運動量も減ってきているせいなのだろう。
不思議なことは、キロンがいなくなって2年を越したが、チビの変化である。
キロンの癖であった夜の就寝前の消灯後の独り言を、チビがムニャムニャと言うようになったのだ。
ほとんど声を出さない猫であったはずなのだが、キロンが体を借りているのか?と思うほどである。

      パソコン横のチビ           食器棚の上のモモ
CIMG3648 CIMG3650

レトリバー猫

2012-10-18 (木)

雨の日に高校のグランドに捨てられていたところを拾われて、西の里に連れてこられたモモも10歳を越しました。
雄猫のせいなのか、遠くまで見回りに出かけるため、今までに2度負傷しました。
先月の傷もEM-XGOLDを飲み水に混ぜることと、EM-1の患部塗布で回復はしましたが、最近は寒さのせいか外出時間も短くなってきています。
昨日、掃除をしていたら、以前よく遊んでいたカラカラと音の出るネズミに似たおもちゃが出てきました。
放ってやると、見事なジャンピングキャッチをしtものですが、しばらくぶりにしてみると、動画のように背伸びするだけになってしまいました。
もう10歳になりますから、瞬発力が無くなったのかもしれません。
それでも、持って帰ることだけはしてくれました。
残念ながら、容量が大き過ぎてカメラから動画が移せませんでした。

             チビの腹見せ             
CIMG3472

   モモの額の喧嘩傷(膿が溜まって毛が抜けた)
CIMG3495

モモのピンチ

2011-04-06 (水)

一週間ほど前に大きな野良ネコに追いかけられたモモの状態が一気に悪化。
朝の散歩で胸のあたりの脱毛に気づき、急きょ病院へ。
野良ネコにやられた傷が悪化したのであろう。左目上にも傷があった。
胸にはゴルフボールほどの膿の塊が皮下にできており、即、切開して、膿を出す。
内部には固形化している部分もあるとのお医者さんの言葉が気にかかる。
もう少し早く見つけていればと悔いる。
家に帰ってすぐに、去年、キロンが使ったエリザベスカラーを取り付けた。
それから、EM-1とEM-XGOLDの混合液をスポイドに入れ、傷口から膿の溜まっていた内部へ注入。
あとはEMの力を信じるしかない。
夕方、チビが表へ出たがるので、気分転換のためにと思い、モモを抱きかかえて外に出た。
ところが、モモは私の手を離れ急に走りだし、フェンスの隙間に突進してカラーを破壊。
猛スピードで家の中に逆戻り。敏感なモモは音に過剰反応したようだ。
動物病院に連絡し、新しいものを取り付けてもらう。
さすがに元気がなく、容体もおかしいので、打ち合わせもキャンセルして、家にいてやる。
カラーを嫌がり、おかしな動きをしては諦めるが、徐々に元気さも失せてきて、今晩が山か、と思ってしまう。
枕元の座布団の上で静かに眠っているモモの体に手を触れたまま眠る。
朝4時、傷口は膿が固まっていて、動きも少しは良いようだ。
食欲もあり、10時に病院へ行き、内部の洗浄をしてもらう。
24時間でかなり良くなっているとの言葉に安堵。
ひと月ほど通うようになるとのこと。
しかし、この時、私はモモの感情を全く読めていなかった。
家に帰りEM混合液を入れてやり、安心したせいか、少し昼寝した。
夕方、外に出たがったので、まだ、雪の残る西高に入っておろした途端にモモは一目散に走り出した。
普段、大きな道路を渡る時には、車に注意してそろそろと歩くのだが、まさに私から逃げた、という感じで走り抜けた。
すぐに追いかけるも、見当たらない。口笛を吹いて区画のすべてを歩き回っても、一向に返事がない。
二日続けての病院行きと、カラーが拷問のような苦痛を与えていたのかもしれないなあ、と思いながら、
1時間ごとに探して回るが、「家出」と考えると腹をすかして帰って来るのを待つしかないのかと思い始める。
6,7回探し回って、やっぱり待つしかないか、と諦めて横になったが、開いた傷口と氷り始めた外気温が気になりだす。
せめて、カラーがなければ、自由に動きが取れるのにと考え出すと、ひょっとしたら、カラーのまま狭いところに引っかかっていたら大変だと思い、12時を過ぎてから、これが最後と探しに出た。
車の音もなく、口笛が大きく響く。
普段の行動範囲のもう一本分の道路まで、じぐざぐにくまなく歩き回るも、返事がない。
ここの道路で最後だな、と思いながら口笛を吹くと。ガサの音とニャーの声。軽自動車の下からである。
モモと声をかけると返事をするが、出てこない。モモは左前輪の裏側に引っかかっていた。
後足を掴み強引に引っ張りだしたが、案の定、カラーはズタズタ状態。抱きかかえると、寒さのせいか震えていた。
氷点下の中、7時間以上いたので、さすがに体が冷えてしまったようだった。
昨年、死んだキロンが雪の日に行方不明になった時を思い出した。
あの時も、私にしっかりと抱きついてきた体は小さく震えていたのだった。
部屋に戻って、すぐに缶詰を食べ、壊れたカラーをそのままに、私のふとんの上に乗ってきて、おとなしく眠りについた。
月曜日、EMを付けてやれば、傷口をなめても問題ないだろうと思い、カラーを外してやると、非常に喜んだ。
しかしながら、いつもは出たがるモモが、一日中部屋でおとなしくしていた。
昨日の恐怖感がまだ残っているのだろう。
思い返してみると、もし、12時を過ぎてから探しに行っていなかったなら、モモは車の下で朝まで耐え、車が動きだす、本当に怖い結末が想像され、心から無事で良かったと思うのでした。
夜の探索は1万5千歩を超えるほど歩いていました。

    壊れた2枚目のカラー         ふとんの上で
CIMG2185CIMG2193

      丸4日経過             外で日向ぼっこ
CIMG2201CIMG2199

散歩

2011-03-30 (水)

少しずつ暖かくなってきましたが、今朝の気温はマイナス3℃。窓の外にもまだ雪の山があります。
それでも猫たちは朝の散歩を欠かしません。先日、雪の上の足跡で、面白いことに気づきました。
まえあし(手)とうしろあし(足)の着地点が同一箇所なのです。つまり、右手の跡に右足が重なり、左手の跡に左足が重なるのです。
一気に走るときには両手、両足が一緒に出るのですが、歩いているときにはピッタリと手の跡に足を置く形で進んでいきます。
写真のように不思議な足跡はこのせいなのでした。
数日前、散歩コースにキツネを見かけました。猫だけで散歩させるのは危険な環境になってきたようです。すぐ近くの森林公園から来たものと思われますが、早くよそへ行って欲しいものです。
            雪の上の足跡
CIMG2140
 
     窓の外のチビ         2階の階段で私を呼ぶモモ
CIMG2137CIMG2133

四十九日

2010-12-23 (木)

11月5日から四十九日目。その間は、現実空間とあの世を行ったり来たり出来ると言う。そうであれば、まだキロンはこの部屋で何かを訴えているのかもしれない。残った2匹が今までにない行動をとることや、食べ物の一時的な変化などに、不思議さを感じることも、今日が最後の一日なのだろうか。ひとりであの世は淋しいだろうなあ、などと考えてもみたが、父や叔父夫婦、シスターたちがいることに気づき、みんなに可愛がってもらえることを祈るばかり。一番人懐こいキロンだから、きっと大丈夫。あとは、こちらの問題である。キロンが教えてくれたものを、これからのおのれの人生にどう活かすか。まだたくさん残っていた長いろうそくを、私のものに継ぎ足してくれたような気がするいま、次の段階に進むべく時間を大切にしなければと思う。今朝は、気温こそマイナス1℃であったが、水気を含んだ重いべた雪が降っている。よくお邪魔していたお向かいさんの畑も、雪で覆われ来春まではこの状態が続く。キロン ありがとう 時々は夢の中に出てきてください
      ひょっとしたら遊び回っているかも
CIMG2066  

キロン物語

2010-11-06 (土)

8年前の7月15日、父親の7回忌の夜に、事務所のわきの階段の裏で生まれました。
母親は事務所近辺をうろついていた三匹の子連れ黒猫の、その子供三匹のうちの一匹チビです。
子猫チビは一番小さかったので、優先的にえさをもらっていました。
ある朝、他の野良ネコ2匹とチビの母親の三者会談が開かれて、チビを残して母親と兄弟二匹とほかの猫は姿を見せなくなりました。
チビは人間にえさを毎日もらうようになり、少しずつ人間との信頼関係が生まれてきました。
それでも犬好き猫嫌いの私はチビを家には入れず、寒い冬は階段の裏で寒さをしのぎ、春になりました。
暖かくなってきて、時々家の中に入れてもらえるようになると、ギャーというしわがれ声で鳴いていたチビも、可愛らしくニャーと鳴くようになりました。
「少し太ってきたなあ」と言っていたのが、7月でした。
そして、よもやの三匹の誕生となったのです。
父親の7回忌を済ませ実家から帰ってきた早朝、ドアを開けるときに階段から鳴き声が聞こえたのです。
2階の方から、「昨夜から聞こえました」と聞き、7回忌に生まれたのも何かの縁、ということで、それから家の中で生活するようになりました。
母親チビは、私が子供を家の中に運び込むことを黙って見ていました。
私の手のひらよりも小さな新しい命との生活の始まりでした。
兄弟二匹は真っ黒でしたが一匹だけ白いメスで、「傷と癒し」の意味を持つ小惑星にちなんでキロンと名付けられました。
目も見えない3匹は母親のおっぱいと暖かさだけが頼りだったのでしょうが、チビは暑くて大変なようでした。
キロンが初めて水を飲んだ時は、舌をペロペロさせながら頭を下げていきました。
水に触れた時点で止まるのですが、目を閉じて水を飲む癖は、大きくなっても変わりませんでした。
9月に入ってから、雨の中グランドに捨てられていた白黒猫のモモが乳のみ兄弟として加わりました。
5匹との生活に慣れてきたころ、朝方にカランコロンの音が枕元でしたので、見ると水容器が空になっていました。
初めての動物との共同生活でしたので、飼い方の基本を教えてくれたような気がしましたが、教えてくれたのは確かキロンでした。
そして、すくすくと育ちましたが、他の兄弟のアルはもらわれていき、一番人懐こかったヤマトは出て行ったまま帰ってきませんでした。
白かったキロンの毛並みは変わってきて、薄茶と濃い茶の2色が出てシャム系の猫の姿になりました。
ごはん(ホタテやイカなど)の皿を置いてもすぐには食べず、体に触れて「食べなさい」というと口を付けました。
食べ方が上品で、食材は小さく刻まなければなりませんでした。
食べるものにはうるさくて、でも、野良を経験している母親チビの半分ほどの量しか食べませんでした。
魚の缶詰は食べず、タコとホタテとイカが好きでした。
本当にお腹の空いているときには、まな板に向かっている私の後ろで、母親チビを真似てきちんとお座りをして待っていました。
お尻が化膿して、首にカラーを付けられていた2週間ほどは、部屋で歩くと椅子やテーブルの脚にぶつかってばかりで可哀想でした。
カラーが邪魔をして床の皿に口が届かないので、毎食私が持ち上げ続けた皿から食べました。
最初は苦労していましたが、そのうちに私を独占していることに優越感を感じているようでした。
嫌がった抗生物質を飲むことも、我慢してくれました。
そして、最悪の後ろ脚切断にならずにカラーが取れた日は、本当に喜んで動き回っていました。
好奇心が強くて、なんにでも興味を示しました。
チャイムが鳴ると真っ先に内側のドアの前まで行って、誰だろう?とドアの陰から覗き込みました。
バンパーに前脚をかけ車の前の部分を嗅ぐのが皆好きなのですが、たまにニオイがきつ過ぎたのか、口を半開きにして舌を出し、「くさいニャー」という顔を数秒続けました。
熟睡している時でも、私が表に出ると、どうしてわかるのか起きだしてきました。
車で帰って来たときには、ドアのそばに来て「おかえりニャー」のお迎えがあり、一緒に家に入りました。
知らない人は苦手でしたが、ゆっくりと近づいて来る女子高生には体を触らせることもありました。
朝が苦手で夜は長く起きていたいほうで、早めに電気を消して寝ようとすると、しぶしぶ奥のふとん部屋に入り、「もう少し起きていたいのに、こんなに早く寝るなんて」とでも言っているように「フニャニャフニャニャ」と、ひとり言をつぶやいていました。
夜中の3時ころに起き出してくることが時々ありましたが、私の枕元の周りで数分鳴き続け、それから、私の髪の毛に鼻面を押し当ててきて、それでも起きない時は、ふとんから出ている私の腕に爪を立ててきました。
始めの頃は起きてえさをあげたり、そのまま一緒に散歩に出たりしましたが、数年前に起きないことにしてから、諦めるようになり、起きなくても良くなりました。
外が好きで、夜遅くまで帰って来ないこともよくありました。
夜中に起きて、外に探しにいくこともありましたが、口笛を吹きながら歩いていると、どこからともなく出てきて、私の後を付いてきて家に帰りました。
私が出てくるのを駐車場で待っていて、私の姿を見るとフェンスをくぐり抜けて行くので、捕まえるために追いかけることもありました。
体育館のところまで行くと満足したようで、スピードをゆるめるので捕まりました。
連れ帰ってくるときには、抱き上げると肩の上に上り、前に上げた私の腕に脚を立てておすわりし、周りを見下ろすのが好きでした。
私はまるで、鷹匠ならぬネコ匠のようでした。
抱きかかえると嫌がりましたが、2階の踊り場で遠くを見るとき、寒い朝の散歩のとき、そして、体の大きなモモにしつこく追い掛け回されたときなどは、黙ってダッコされていました。
日中は外に出ていても近くにいるときは、口笛を聞くと一目散に走って帰って来ました。
時々は飛び跳ねるように、また、真夏の暑いときにはのそりのそりと帰って来ることもありました。
校舎の窓から口笛で帰って来る猫を見て、高校生たちが驚いていることもありました。
散歩でグランドまで行ったときには、全速力で走ると他の2匹はかないませんでした。
平日の早朝、夕方、休日などは学校の校庭やご近所を一緒に散歩しました。
でも、行くときは先頭でも、帰ってくるときはわざわざ遠回りしてくるのが好きでした。
「帰るよ」と呼んでもお気に入りの場所から座り込んだまま動かずに、数十分後に迎えに行くこともよくありました。
迎えに行く前に帰ってきたときには半開きにしてあるドアを押して入ってきましたが、迎えが遅かったときなどは、ドアの向こう側で、立ち上がって柱をガリガリとやりました。
休日の学校内は生徒もいなかったので、両手両足?を伸ばして横になってくつろぎました。
後ろ脚を何度か押してやると脚に力を込めてくるので、さらに押すと数十センチほどそのままの姿勢で移動するのはキロンだけでした。
何かを要求するときには、窓枠、柱、商品の箱など、あちらこちらで爪を立てて私に意思表示しました。
時々、トイレに入って来て、私の膝の上で丸まって「グルグル」と喜んでいるうちは良いのですが、それが止んで眠ってしまったときは、起こすのが可哀想でしばらく動けなくなるので困りました。
肩伝いにトイレの棚に上がることもありました。
背中をよじ登って高い所に移るのが得意でした。
また、台所で調理している私の肩に冷蔵庫の上からジャンプしてきたり、物置の上から「降りるニャー」と言って私を呼び寄せ、肩に飛び降りてきたりしました。
冷蔵庫の上やその横の食器棚の上のザルで眠っているときにガスを使って料理をすると、暖かい空気が流れるのがいやなのか、起きて降りてしまいました。
可哀想なので上で眠っているときは、起こさないように、冷奴や佃煮、生野菜などで我慢して夕食としたこともありました。
外で庭仕事をしていると、箱の上やプランターの中、窓下の落ち葉を敷き詰めた場所でウトウトとしていることがありました。
耳を後ろに緊張させて、カメの首のように前へ突き出すと三角形のようになり、その両あごのあたりを下から上へブラッシングしてもらうのが好きで、ピンクの舌がちょろっと出てかわいい顔になりました。
お風呂のお湯を入れだすと、浴槽のへりに前足をかけて立ち上がり、十秒ほど水の入るのを見るのが好きでした。
昼寝する場所は冷蔵庫の上、コピー機の上、洋服ダンスの上のトランクの上や段ボールの中、EM-1の横の小さな箱の中、一番好きなのがプリンターの裏でしたが、時々、その場所に母親のチビが眠ってしまうと、そこへの上がり場を声を出しながら行ったり来たりして、「何とかしてニャー」と私にだだをこねました。
何度かは、言うことを聞いてあげて、チビを別の場所に移動させると、すぐにそこへ上がって眠りました。
何もしてあげないと諦めて、向かいの洋服ダンスの上の箱にジャンプして中で眠りました。
夜の寝床は決まっていて、押入れの布団のくぼみに丸まって寝ていました。
駐車場に座って、道行く人たちを黙って見ていましたが、私が傍にいると、散歩している小型の犬には向かって行きそうになりました。
車のドアを開けてやると、中に入ってダッシュボードの上にペッタリと座り込み、安全なことがわかるのか、姿を隠さずに犬が通り過ぎても悠然と外を眺めていました。
でも、カゴに入れて移動するときなどは、車中でカゴの中の布団をズタズタにするくらいに脚をバタバタさせ、普段出さない大きな声で怒り続けました。
侵入してきたよその猫には、一番体が小さいくせに、先頭に立って相手を威嚇しました。
そして、相手を追い掛け回すこともありました。
雨の時以外は何度も外に出ていましたが、「一緒に出ようニャー」と何度も家に出たり入ったりして私を散歩に誘うこともよくありました。
今週は雨が多くあまり外出できなかったので、夕方5時ころにホタテを食べてまた外に出ました。
7時ごろ、道路を横切ろうとしたら何かにぶつかりました。
いつか事故にあうことはわかっていました。
でも、家に閉じ込められて生活するよりも、自由に外を歩き回れるほうが幸せだと思っていました。
8歳と3カ月と20日、少し短過ぎる一生でした。
抱き上げた体はまだ暖かく、でも、ぐったりとしていました。
私の布団の横で夜を過ごしましたが、前足はいつまでも暖かく、夜が明けたら歩き出すのではないかと思い、時々背中を撫でてみました。
翌朝の6日の5時にみんなで校庭の散歩に出ました。
いつも、好きだった場所を通り、30分ほどかけて家にたどり着きました。
その時でも体は暖かく感じました。雨がパラパラと降ってきました。
お天道様も涙を流してくれたのでしょうか。8年間、本当に癒しを感じさせてくれました。
ありがとう。安らかに眠ってください。

追記 7日、チビとモモ、そして姿の見えないキロンが一緒にいるような気がして、今年最後の暖かい日曜日は何度も校庭に入りました。
カラスに囲まれていたところを石を投げて助けてくれた方や、体をさわらせていた2歳の子供とその母親が通りがかり、「キロンは?」と聞かれ、事実を伝えました。
そして、8日の朝4時には、3匹での本当に最後の散歩に行きました。
6日の散歩の後、部屋に戻った途端に腕がだるくなり肩が重くなったので、意味がわかりませんでしたが、もう少しいつものようにゆっくりと散歩しようと思ったのです。
いつもの学校内の一周をするつもりが、途中でモモの足が止まり、学校の外の向こう側を向いたままフェンスの外の擁壁のコンクリートの上にお座りして動きません。
何度促しても来ないので仕方なく私もフェンスを越えました。
するとモモは、行ったことのない方へ擁壁の上を歩き出したのです。
擁壁の終わりまで来ると、そこから道路に降りて歩き続けました。
そして、一軒一軒玄関先を確認するモモとチビを見ているうちに思い出しました。
キロンが小さかったときの初めての冬、雪が降り積もって辺りが真っ白になったころ、暗くなっても帰ってこないことがあり、雪が降り続いている中を、数時間キロンの名前を呼びながら探し続けたことがあったのです。
しかし、夏の間に一緒に歩き回っていたところにはおらず、結局、学校を挟んで家とは反対側の家の玄関前で、寒そうに泣いているキロンを探し出したのです。
今朝、その家の前を通り過ぎて、あの夜の捜索を思い出したのです。
忘れていた出来事でした。
きっと、あの時、キロンはとても嬉しかったんだろうなあ、それを伝えにモモを使って、最後にここに連れて来て思い出させてくれたんだもの。
「キロンはえらいねえ」と言いながら、体を腕で囲って数十秒間頬擦りしてやると、とても喜んだのに、今、頬擦りしてやれないのが本当にやり切れなく切ない。

追追記
 本日は14日。いなくなってしまった翌朝から、思い出を書き留めるために必死になり、写真を探し出してはデジカメで撮り直したりして、そうしていることで、時間が過ぎることと寂しさを忘れていましたが、1週間を過ぎて少しずつ落ち着いてきました。
 最後にふたつ思い出したので、これでおしまいにします。
 出かけて留守番をしている時や、私が夜中に起きない時などいらつくことがあると、清掃用に置いてあるトイレットペーパーをボロボロにしました。
置き場所には気を付けてはいたのですが、たまに、棚に上げ忘れてしまうと丸々1本がダメになりました。
 警察官に尋問されたことがありました。
遅くなっても帰らないキロンを探しに学校のフェンスを越えてすぐに、夜間パトロール中の警察官に見つかったのです。
パトカーから降りてきて「動かないで」と言われ、顔にライトを当てられました。
「猫を探しているんです・・」と言ってはみたものの、少しアルコールが入っていたので、「まずいな」と感じていました。
しかし、二言三言答えているところに、主人の危険を察知したのでしょう、キロンがさっと現れて私の足元に寄って来たのです。
キロンを見て警察官も私の話に納得し、事なきを得たのです。
最後は、私が助けられた話でした。

    兄弟2匹と(24日目)  兄弟に挟まれてお乳の時間(29日目)
CIMG1955CIMG1956
   遊びだした頃(29日目)       単独行動(34日目)
CIMG1957CIMG1958
 顔つき合わせての昼寝(36日目)  それぞれお椅子で(49日目)
CIMG1971CIMG1977
    学校内の散歩            庭でお昼寝
CIMG1456CIMG1632
     コピー機の上で             雪中散歩
CIMG1307CIMG1291
     狭い箱の中も好き      事務所の駐車場でお昼寝
CIMG1772CIMG1756
     校庭は車の心配がないのでリラックス
CIMG1731
    本当に邪魔だったカラー
CIMG1393
    左からチビ、キロン(9か月)、モモ、ヤマト
CIMG1974
         朝帰りでちょっと神妙な顔
CIMG1131-300x225

イーエム・エコのEM猫たち

2009-07-05 (日)

シャム混じりのキロンの親であり、白黒ブラックジャック風のモモの乳母でもあるチビは一番の大食漢である。丸一年間の野良生活がその性格を形作ったのであろう。生まれてすぐに家に入ったキロンは食べ方が上品。3か月後に入り込んだモモは今では5kgを越す一番大きな唯一のオス。見回りが長く、時々、傷を負って帰宅。EM1号の世話になっている。トイレにはEMパウダー,えさにはEMX、時々ボカシ、ブラッシングにはEM2号で健康を維持している。8歳と7歳2匹は外が大好きで、早朝の散歩はかかさない。
CIMG1006

EMとはEffective Microorganismsの略語で、有用な微生物群という意味の造語です。 EMは自然界から採種し、抽出培養した複数の微生物資材で、琉球大学農学部の比嘉照夫名誉教授が開発しました。

〒061-1147
北広島市
里見町2丁目6番6
TEL:011-398-5817
FAX:011-398-5827

代表細川義治のプロフィール
2011年NPO法人
北海道EM普及協会 理事長
活動内容
・生ゴミ堆肥化の技術指導(札幌市の派遣講師事業)
・家庭菜園でのEM利用技術の普及
・授産者施設でのぼかし作りの指導
・小中学校の環境改善のためのEM利用の普及
・有機農産物の普及
趣味
・映画鑑賞
・1匹の愛猫との散歩