チビの一生

チビの一生

2019-10-31 (木)

西の里に住み始めて4,5年目の春、子猫3匹連れの黒の野良猫がウロウロするようになり、森岡が時々食べ物を与え出すと、毎日のように顔を出すようになった。
3匹の真っ黒な子猫の中でもとりわけ身体の小さい猫は、エサをあげても他の子猫に食べられてしまうので、チビと名付けて特別扱いしていた。
殆ど毎日のように顔を出すようになっていた野良猫親子だったが、ある夏の明け方、近くの野良猫2匹と母猫合わせて3匹が顔を突き合わせていた。
猫の会議?何をしているのかなと思っていたが、その日から、母猫と他の子猫が姿を現さなくなり、チビだけが来るようになった。
朝、エサをもらうと、昼はどこかをうろついてきて、夜は階段の下で寝ることが続いた。
冬になっても階段の下の奥の方を寝床として春を迎えた。
その頃になると、身体も大きくなってきて、時々は家の中にも入ってくるようになっていた。そして、2002年7月15日、父の七回忌を終えて岩見沢から帰宅すると、階段から子猫の鳴き声がする。
太ってきたと思っていたチビが、3匹の子猫を産んでいた。
父の七回忌に生まれた子猫に縁を感じ、親子共々奥の部屋にバスタオルを敷いた箱を用意して、チビは正式に飼い猫となった。
トイレはすぐに覚えて、その後、子猫たちも粗相は一切なかった。
それからは、少しずつ大きくなる子猫の成長を楽しみながら毎日を過ごしていたが、9月に森岡の次男が捨て猫を拾ってきた。
3匹の子猫よりちょっと小さいくらいの白黒猫で、初めは皆に威嚇されていたが、チビは受け入れてくれてオッパイを飲ませてくれた。
数か月過ぎてから、子猫を含めて不妊手術を受けるために、東千歳の動物病院へ連れて行ったが、チビはカゴから逃走。
広い笹薮の中に入り込んで戻ってこない。
その日は諦めて、翌朝、静かな時間に子猫をカゴに入れて、子猫たちの鳴き声を聞かせていると、藪の中からチビが出てきたこともあった。
子猫4匹が大きくなるにつれて、毎日外に出たがるチビを外に出し始めると、子猫たちも出たがるようになり、向かいが高校の敷地だったこともあり、休日や早朝には揃って散歩をした。高校の敷地内を1時間以上かかって一周することもあった。
複数で散歩していると、子猫たちは何度か林の中にはぐれてしまい、後から探しに行くということもあったが、チビは一度もそんなことはなかった。
ただ一度だけ2013年1月に24時間帰ってこないことがあった。
厳寒の中、どう過ごしていたのかは不明だが、元野良の身体は強い、と思った。
もらわれていったアル、出て行ったヤマト、9年前に事故でキロンが、心臓の病でモモが居なくなって5年、みんなが居なくなってから、少しずつ甘えるようになった。
子猫たちは、私の布団の上に乗って来て足の間や脇の下などで眠ることもあったが、チビはいつも別の部屋に行っていた。
しかし、最近は、寝る前に私の腰のあたりに座り、お尻をとんとんと軽く叩かれながら眠るようになっていた。
この数年で少しずつ体重も減って来ていて、4㎏ほどあったのが最近は3㎏になっていた。
しかし、食欲はあり、夜中に寝ている私の顔に鼻づらを近づけてきて起こして、エサをねだることも度々になってきていた。
猫は死に際を飼い主に見せない、と聞いたことがあるが、二月ほど前に外に出て帰って来ないことがあった。
近所を口笛を吹きながら探し回ったが一向に姿を見せなくて、2時間ほど探していたら、行ったことの無いかなり離れた家の玄関前でようやく発見。
抱きかかえて帰ろうとすると、離してくれと言わんばかりに唸り声を出し袖口に噛みついて嫌がった。
ひょっとすると、チビ、あの時はどこか死に場所を見つけようとしていたのかい?
チビ 2019年9月21日 永眠      

EMとはEffective Microorganismsの略語で、有用な微生物群という意味の造語です。 EMは自然界から採種し、抽出培養した複数の微生物資材で、琉球大学農学部の比嘉照夫名誉教授が開発しました。

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代表細川義治のプロフィール
2011年NPO法人
北海道EM普及協会 理事長
活動内容
・生ゴミ堆肥化の技術指導(札幌市の派遣講師事業)
・家庭菜園でのEM利用技術の普及
・授産者施設でのぼかし作りの指導
・小中学校の環境改善のためのEM利用の普及
・有機農産物の普及
趣味
・映画鑑賞
・1匹の愛猫との散歩