道徳教育
2018-12-29 (土)
教育テレビの番組で「星に願いを」副題「小さな山の天文台物語」を見た。
引きこもり気味だった青春期を過ごした天文台に勤務する男性職員が、尊敬していた今は亡き天文学者の友人の出前授業について語った。
「氷の塊である彗星に金属をぶつけるとどうなる?」という、誰にも答えがわからない結果について、子どもたちに考えてもらったのだ。
飲み込まれる、爆発する、様々な答えが出てきた。
「難しい問題を考えることは、いずれ人生を生きる力になる」と亡き友人は言った。
男性職員は、それまで、きれいだからという単純な気持ちで星を観察していたことに気付いた。
また、天文学者を目指していたが、別な職につかなければならなくなった弟子のような青年に対して、「こけるのも勉強だと思って」と慰める母親に対して、一度は肯定するも、「こけるのも勉強、じゃなくて、こけるのが勉強だからね、人生の」と言い直した。
そして、好きならばプロじゃなくてもアマチュアとして続けられるよ、とアドバイスした。
教育というものの理想型を見た気がした。
新年度から始まる「道徳教育」に懸念の声が上がっているが、一つの答え・思想への誘導は、年配者への敬愛が国家への従属へと繋がり、教師の思想の子どもたちへの押し付けになる恐れがあり、考える力を育てる「教育」から大きく外れてしまうような気がする。