日大アメフト部騒動
2018-05-31 (木)
フェニックスの栄華の果てに引き継いだ十数年の監督時代は、一度も日本一に届かず、再登板してやっと届いた栄光の座を何としても死守したいがための交流戦での悪質プレーの指示。
秋の本戦に向けて、関西学院の戦力の低下を狙った卑劣極まりない作戦である。
選手を人間として扱えないこのような監督の下で、天は何ゆえに昨年、日本一の栄光を与えたのであろうか?
学内ではNO.2という立場で悪行三昧をしていたという。
おそらく、日本一の後、その行動はますます非道さを増したであろうし、取り巻きの質も落ちたであろう。
大きく振れた振り子は、一気に逆方向へと振り返るのが世の定め。
「好事魔多し」とはよく言ったものだ。
選手を一つの駒としか考えない指導者が学内を取り仕切っていたという事実が、たった一つのプレーにより白日の下にさらされ、大学全体を巻き込んだ大改革のきっかけとなったのだ。
やむなく指示を受け入れ実行してしまった選手の心の中の良心が、スポーツに対する向き合い方を見直す機会を与えてくれたのである。
戦時中でもあるまいし、絶対服従の上下関係など、過去の遺物として葬り去ると同時に、師弟、元請け下請け、親子、先輩後輩、上司部下、官民、様々ないびつな上下関係が日本には存在することを再認識しなければならない。