山本太郎議員その2
2017-02-02 (木)
ネット上では、先の代表質問に対して、「バカは黙れ」「タレント議員」「パフォーマンス議員」の言葉で、完全否定する人たちがいる。
「ネトウヨ」と呼ばれる人たちのようだが、質問の内容に反応しているのではなく、「山本太郎」が嫌いなだけのようだ。
なぜ、理解しようとしないのか?
それは、小中学校教育に大きな問題があるように思える。
最近は、国際社会に対応するために、小学校から英語を始めようなどとの声もあるが、それよりも、柔軟な思考力の育成を図ることの方が、どれほど将来役に立つであろうか。
十人十色を知ることが重要なのだ。
今の教育は、知識の詰め込みと内申という力による生徒への抑圧で、ストレスの溜まる学校生活を送らざるを得ない。
そして、受験競争のレールから外れてしまった者には、明るい未来像は描けない。
「昭和」は、少なくとも、結婚して家庭を持ち子供を育てることが、すべての人に可能な時代であった。
いつ、どの時点が日本の変化の分岐点であったのだろうか。
バブルで浮かれて、政治などに無関心でいたことが、発端だったのか。
小泉政権の自由化か?
時代の流れは緩やかで、いつの間にか、危険な方向へ進んでいる。
太郎議員の今回の質問は100年後に時代検証をするときの資料として大切に永久保存する、という人たちがいることに少しの安らぎを感じるが、この先、米国大統領の愚かさが加わり、理念が無い、自分だけが勝てば良いという自国至上主義に脅威を感じることも確かだ。
金子勝氏によれば、金融政策の限界は近く、今はバブル状態とのこと。
米国のイエスマンに成りかねないお坊ちゃまを、何とか交代させなければ。
国家のための個人ではなく、個人のための国家にするために。