映画「放射線を浴びたx年後」
2013-10-01 (火)
9月29日、広島市と関係の深い北広島市の芸術文化ホールで、「平和の灯記念事業」として、詩の朗読と映画が上映された。
1954年のビキニでの水爆実験といえば第5福竜丸の被曝が知られているが、実際はもっと多くの被曝者が存在し、多くの方が早逝している事実を追ったドキュメント映画で、その頃は、多くのまぐろ漁船がマーシャル沖で操業を繰り返し行い、2か月ほどをかけて日本にまぐろを運んでいたのだ。
まだ、放射能の危険性に対する報道は稚拙なもので、港に揚げられたまぐろをガイガーカウンターのようなもので測定していたものの、かなりのマグロは市場に出回ったようで、米国からの日本への補償金200万ドル(当時で7億2千万円)で手打ちが行われ、その補償金も千人を超える船員たちの手元には渡っておらず、早い人は30代から次々と胃がんや喉頭がんなどで亡くなられていたのだった。
このことを知った高知県の元社会科教師は、現在も調査を続けており、何とかこの事実を世間に知らしめ、生存者に対して被爆者手帳を交付してもらうべく尽力しているが、その壁は厚くて高いようであった。
コンクリートの防潮堤に群がって穴を開けるカニの稚い小さなもの「赤い子」に自分をなぞらえて、自分の活動を続ける力にしているようであった。
また、この時、米国は太平洋沿岸から米国全土、そして、日本の米軍基地にも放射能測定器を設置し、汚染状況の調査も同時に行っていた。
広島に投下された原爆の1000倍超といわれる水爆の放射能は台風時期の秋などは北海道を含む日本全土まで覆い尽くすほどの汚染の広がりが確認されていた。
当然、米国本土にもその汚染は届いていた。
核爆弾が地球を滅ぼしてしまうという認識を各国の政治家が持たなければならないのだ。