アレキサンダーテクニック
2010-05-24 (月)
22日、ワークショップに参加した。頭蓋骨はその重心を通る部分で支えられておらず、平衡を取るために後頭部を引っ張る筋肉が不随意筋であることや、股関節部分に上半身が乗っかっていることなど、人体の構造の不思議さを知らされた。そして、意識が身体の不調をもたらし、身体に残る記憶が影響を与えることなど、一般常識とは違う話も出てきた。アレキサンダーテクニックは、しないこと、考えないことと言い、「無意識による意識の開放」が緊張を和らげ、健全な心身を導き出すようであるが、これは、理屈で理解しても無理な「悟り」の境地に達することに類似し、やはりそうなると、移ろい行く自然の中で修行のような体感で得られる感覚なのかもしれないと考えた。動的な疲労からくる筋肉痛などは安静で治まることは理解できる。心労から来る疲労は、気持ちの持ち方でなんとかなりそう。しかし、感情が作用するという不随意筋による不調や遺伝子情報から来る病はどうなるであろうか、と考えたとき、「進化論」が思い出された。微生物を含むすべての生物に、それぞれの違いがあることの不思議さは、神のような存在が前提でなければ、納得しにくいものであったが、「気」や「感情」や「記憶」が素粒子のような存在としての科学的存在を仮定するならば、進化も肯定できる。遺伝子にテレパシー能力があり、他者が感覚で捉えたものを感受し伝達していければ、「擬態」などもあながち不可能ではないということになる。生まれ変わりや前世の記憶も説明がつくというものだ。師いわく、「頭蓋骨は常に不安定な状態にある」。つまり、いつでも亜健康ということである。仙人のように悟りを開いて、いつでも健康などと考えずに、日常的に心身のバランスに目を向けることが心身の振り子の幅を最小限にし、健康を維持する最善策と言えるのかもしれない。