防波堤
2009-12-19 (土)
苫小牧沖の防波堤での事故に、20年ほど前、多摩川沖の工事予算が一千億円を超える大規模工事に従事していた頃を思い出した。東京湾の防波堤で3人で測量作業をしていると、波が荒れだし、急遽、本部から寄港の指示が出た。100万円以上する測量器材など捨ててきてもいいから、すぐに船に乗り移れと言われた。いつの間にか波は大きく荒れだしていて、少し離れて待機していた小型船も大きく上下していた。船は防波堤に近づくが、波に翻弄され近づいては波に持っていかれて離れるを繰り返す。近づいて来る、2度ほど上下して離れる。飛び移るタイミングが外れると海中に転落して死も考えられる状態であった。1,2,3と間合いを読みながら、次に行こうと決め、1,2,3で飛び込むつもりが急に足が止まった。船はそのときだけ一間合い早く岸を離れていた。何分の1秒かの間に何かが私を押さえたのだ。死を感じた瞬間であった。3人が無事に船に乗り移ったときは、心底安堵した。海の変化は急である。亡くなられた自衛隊員の方たちへの自己責任論的な報道がある中、小学生のお子さんや新婦さんたちのことを考えれば、心無い言葉を報道すべきではない。危険な場所として、立ち入り禁止としているならば、警報が出せるような設備などを設置するなどの対策を提示するような報道こそが望まれるものだ。